置換イヤン

なぜ「涙するほどの感動」は、フィクションや「他人の物語」のなかにしか存在しないのですか?
はじめて回答してみました。回答したはいいけど、ポイントってなんだろう?<未だにはてなのシステムを理解してない人


で、「他人の物語・フィクションで感動して泣くのは、その中に自分の物語を見出すから*1」っていうようなことを書いたんですが、「感動」を「萌え」に置き換えると、すっごくイヤンな感じだということに、今気付きました。
マンガやアニメ(のキャラ)に萌える*2のは、そこに自分を見出すから……orz
ああ、激しくイヤだ。自分がそのキャラになってあのキャラに愛されたいから(orあのキャラを愛したいから)パロディ(やおい)を書いてるなんて思われたら、とってもとってもイヤだ*3そんな微妙な腐女子心。いやでも、まるまるっと同一視するのと、共感できる部分があるっていうのでは、ずいぶん意味が違うはず。
そう考えたら、ドリー夢小説って逆に自分をその物語の中に突っ込んでしまう訳だから、すごいよなぁ〜。ある意味、理にかなってるのかも。でも私には書けない世界だ……
メイドさん萌え〜な男性が、メイドさんのコスプレしたりするのも「自分がメイドさんになりたい」「メイドさんの中に自分を見出す」からなんだろうか。。。

*1:FFXでアーロンさんが「これはおまえの物語だ」って言ってましたね。ちなみに私の泣き所はマニアックです。映画「バロン」のラストとか。ああ、マニアック人生。

*2:あまつさえパロディ同人誌なんかを作っちゃったりする。ついでに私は萌えどころもマニアックです。茨道マニアック街道。

*3:でもそう思ってる人は多々いると思うし、全く的外れというのでもないだろうし。でもイヤだ。