誉めることの難しさ、ふたたび
せっかく絵を描いても『下手くそねえ』と親が笑えば、それをきっかけに子供は絵を書くのが嫌いになり苦手になっていくかもしれません。逆ももちろんあるでしょう。しかし、子供の絵というのは大人から見ればたいがいは下手くそに見えるわけで、思わず笑っちゃう親とかのほうが多いんじゃないかな。文章にしたってそうです。子供の書く文章というのは、本当に驚きがあります。*1でも、大人からみれば字が汚いことや『てにをは』が拙いことが気になって、つい注文をつけたくなる。文法はあとから身につくのだと思えば、ここで『いいところを探してただ褒める』というほうが、その子供の将来のためになるようにも思うのですが、いかがでしょう。
三度目のトラバ&引用させていただきます。
老若男女にかかわらず、やる気・学ぶ意欲・創作意欲を引き出して伸ばすには、何よりも誉めることだと、私も思います。
ただ、子供の書く文章に驚くことができるのは、その対象(この場合は文章)の本質がわかっているから「この子のこの発想がすごい!」「この想像力が素敵だ!」「こんなことに着目できたのが素晴らしい!」というのも見える=誉めることができるんですよね。
天樹先生も仰っておられるように、「この漢字は間違ってる」「敬語の使い方がおかしい」っていうような表面的な間違いを指摘する=叱る方が、技術も知識も大して要らないし、何十倍も楽なんです。*2
同じように、「積み木あそびが、その子が将来、数学や科学を学ぶ上で大切な体験になるんだ*3」ということを、数学や科学の専門家ならば認められる(誉めてあげられる・勧めることができる)かもしれないけれど、それを理解していない大人は「ああ、おままごとしてるのね」と思うだけだったり、下手をすれば「そんなあそびより勉強をしなさい!」と言ってしまうこともあり得ると思います。
そんな訳で、成果や内容を、適切に誉めること・認めてあげることというのは、なかなか難しいなぁと常日頃から感じています。
いろんな角度から見て、誉められる人になりたいなぁと思いつつ、自分の引出しを増やすために修行の毎日です。
ですが、id:boilednepenthes:20051020でも書いたような「頑張ったね」「(何かを)達成できたね」「楽しくやれたね」「好きになれたね(それが好きなんだね・やりたいんだね)」といった過程や意欲、「あなたが大切だ*4・あなたは素敵な存在だ」ということなどは、誰でも認めて・誉めてあげられるんですよね。
特に、お父さん・お母さんを始めとして、子供の周りにいる大人には、こちらの誉め方・認め方が求められているんだと思います。
こういった誉め方・認め方には、技術も知識も必要ない。「ほめよう」「認めよう」と思うこと、「あなたが好きだよ・大切だよ」と思うこと、それを言葉に出して伝えること。それだけ*5。
専門的なことは(本当は)学校の先生に任せておけばいいんだし、そういった枝葉末節よりも、ずっとずっとその子(人)の心に深く届く言葉なんじゃないでしょうか。
そして、他人の作品を誉められる・認められる人が良い作品を作れるように、他人を好きになれる人・認められる人・尊重できる人は、自分も好きになってもらえるんじゃないかなぁとも思ったり。
自分の子供を誉めて育てれば、子供が良い子*6になって自分が助かる・嬉しい訳だし、それが他人であっても、相手を誉めて認めるということは、結局、自分を大切にすることにつながるんだと思います。攻撃は最大の防御!<激しく意味が違います
ということで、誉めるのは難しいけど、がんばって誉める人になろう、という話でした。
おしまい(多分)。
*1:強調は私
*2:ついでに「叱る」のより「怒る」方が、もっともっと簡単です。
*3:id:boilednepenthes:20050421に関連記事
*4:id:boilednepenthes:20050818に関連記事
*5:それが意外と難しかったりもするんですが(^^;
*6:大人の言う事を聞く子という意味でなく