沸騰空穂葛日記

マンガ・アニメ、映画、舞台などの感想を中心に(予定)。フェミニズム、教育・育児ネタなども?

ちょっくらウツ

しかも頭痛い。


こういう気分が沈んだ時に、ふと自分が救えたかもしれない、なのに何もできなかった生徒のことを思い出す。救う、なんて、あまりにもおこがましいが、それでも苦しみや悩みを少しでも軽くするために、私にも何かできたはずだ、もっとああしておけば、こうすべきだった、そんな悔やまれることばかりだ。いや、あの時はあれが精一杯だったんだ、できる範囲のことはした、それ以上は無理だったんだ、そう自分に言い聞かせても、後悔は消えない。
犯罪とか自殺とか、ニュースで流れる度に「周りの誰かが手をさしのべられなかったのか」なんて偉そうに言う人がいるけれど、その「手をさしのべられなかった」のが私だ。あとは、彼ら/彼女たちが、誰かの手をつかめていることを祈るしかない。自分が罪人にならないための身勝手な祈りでしかないけれど。
「ごめんなさい。何もできなくてごめんなさい。力が足りなくてごめんなさい。どうか、あなたが今、幸せであるように。あなたの悩みや苦しみが、少しでも楽になっているように。」


でも、誰だって、できたはずなのに手をさしのべなかったことはあるんじゃないだろうか。よほど無神経で鈍感な人間でない限り、心当たりはあるはずだ。


「あの手にナイフを握らせてしまったのは、あのアクセルを踏ませたのは、私かもしれない」秋葉原の通り魔殺人の変わり映えのない報道を見ていると、誰もそう思っていないのに驚かされる。それじゃ、何も変わらない。だから絶望するんじゃないのか、世の中に。


殺してしまった・救えなかった・守れなかった人たちへの懺悔もなく、血まみれのナイフを他人に押し付けて、知らん顔で世の中はまわっていく。