沸騰空穂葛日記

マンガ・アニメ、映画、舞台などの感想を中心に(予定)。フェミニズム、教育・育児ネタなども?

論理的に考える力

今日、昼ごはんをウチの相方と一緒に食べていて、なぜか教育論のような話になりました。
以下、私が述べたことをつらつらと。



国語ができないと、数学も英語も、他の教科全部ができないんだよね。
なんでかっていうと、論理的に考える力がついてないから。
日本語で「〜れる・られる」への言い換えができない子が、英語で受動態とかやったって、意味がわかるはずがないんだよ。
算数の文章題ができないのだって、文章を論理的に読み取る力がついてないせいなんだよ。
極端に言えば、論理的に考える(文章を読み取る)力があるなら、わざわざ教わらなくても教科書を読んで理解できるはず。あれだけ手間暇かけて作ってる教科書が、読んでも説明が足りなくて理解できないように書いているはずがないんだから(たぶんね)。あとは、もしわからないことがあれば、どうやって調べればいいかがわかっていれば(辞書の引き方とか)、自力で何とかできる。
学力低下だなんだと言っているけど、結局問題なのは、その論理的に考える力を身に付けさせることの重要性を教える側がわかってない、勉強ができないのは論理的に考えられないからだってことを理解してないってことだと思う。
教える内容を熟知している人間なら、ゼロからかみくだいて、わかりやすく論理を組み立ててあげることだってできるはず。
「わからない事がわからない」先生っていうのは、その「かみくだく」「ゼロから論理を組み立てる」っていうところで自分がつまづいていることが理解できずに、狭い範囲で「なんでこれがこうなってこうなるって教えてるのにわかんないの?」って思ってるんじゃないのかな。「違うんだ、理解できないのは、その前の段階の論理が組みあがってないからなんだ。土台を理解してないから積み上げられないんだ」ってことなんだろうけど、わかってない子自身には、それを自覚できないから厄介なんだろうね。
「勉強ができる子」にとっての教育機関(学校や塾)は、知識を広げたり、理解を深めたり、勉強するペース作りをしてあげる場所だったりするんだろうけど、「できない子」にとっては、論理をわかりやすく説明してあげる場所でなきゃいけないんだと思うなぁ。
文科省は、教える側の問題をすっとばして、子供にアレをやらせよう・コレをやらせようって思ってるから効果的な方策が出ないんじゃないのかな。
教育を改革したかったら、教える内容じゃなくて、教える側の意識を変えないと、どうしようもないんだよね。

そんなことを熱く語っている自分に、「論理的・合理的であること」への拘りの強さを感じました(^^;
で、そんなことがあって2005-09-17さんのコメントにも、「私は妙に合理主義というか論理至上主義なので」と書き込みしたのですが、でも人間の行動を論理的に説明すると、すっごく不条理だったりするんですよね。私が怒る理由なんか、大半が「おなか空いた」とか「眠い」とかの八つ当たりですよ。あっはっは。人間って面白いなぁ。
……と、教育から話題が離れたところで終わっちゃえ〜