沸騰空穂葛日記

マンガ・アニメ、映画、舞台などの感想を中心に(予定)。フェミニズム、教育・育児ネタなども?

感受性と読書感想文へのうらみつらみ

鰐鷹エルさんの「アンチ感受性」を読んで思い出したこと。
小学5年の時、所属してた合唱部で、県の合唱コンクールで金賞だったか銀賞だったかをとったんですよ。その結果発表をきいて、隣の席に座ってた子と、手を取り合って飛び跳ねて抱き合って喜んだ訳なんですが。
そのとき、純粋に喜んでるだけじゃなくって「ああ、こういうのが”嬉しい”って感情なんだ。嬉しいときって、こう表現すればいいんだ。」っていうのを、生まれて初めて*1味わった・自覚したんですね。


そんな訳で、非常に感受性の乏しい子供で、乏しいまま大人になった訳ですが。
何が困ったって、読書感想文ですよ。
感想?そんなものあるかい!と(笑)。文章を書くこと自体は、昔からキライじゃなかったんですが、小学生の感想文だと、感受性豊かそうなことを書かなきゃならないんですよねぇ。「(主人公が)かわいそうで、なみだがでてしまいました。」とか。「**がんばれ!と、いっしょうけんめいおうえんしました。」とか。
しかも、課題図書が限りなくつまらないんだ、これが。わたしの趣味は、ご幼少のみぎりからB級マニアックとかエロティックとかオカルティックとかアダルティックとか偏っていたので、心身ともに健康そうな同学年の子供が好きそう(だと大人が考えるような)お話って、幼稚に見えたりバカバカしく思えて、ことごとくダメだったんですよ。
読書量は多かったし、やたらと国語の成績だけは良かったし、想像力というか空想力というか妄想力は高かった(笑)ので、読書感想文が書けないのは単にサボリ魔なだけだと自分でも思ってたし、周りもそう思ってたから、そういうところでコンプレックスを持たなくて済んだのは良かったですが。
中学高校と学年が上がっていくと、そういう感受性豊かな感想文だけじゃなくレビュー・批評的な文章でも認められるようになってきたり、課題図書の数も増えて選べるようになったりして、おかげですっごく書くのが楽になりました。


あー、ちなみに、今も感受性が鈍くて困ってます。
「わたし、いま怒ってるんだなぁ」とか、「あ、これが嫌だったんだ」とか、そういった自覚が、ものすごく遅いです。おニブチンです。
で、自覚がなくてもウツな気分になったり、怒った態度を取ってたりはするので、「怒ってるの?」とか聞かれるんですが、自分でもわからないので、周りからしたら「わかんないのに怒ってるって、アンタ!!」ということになる訳ですね。
自分自身、何が嫌だってハッキリわかれば、対処のしようもあって楽なんだろうなぁ、とも思うんですが。ホント困りモノです。


しかし、感受性って、本当は親から「うれしいね」「たのしいね」「きれいだね」「きもちいいね」っていうように、感情を言語化してフィードバックしてもらうことで育ったりするんじゃなかろうか。
読書じゃ育たないですよ、少なくとも。
国語や音楽・美術の成績が良くたって、感受性が豊かな訳ではないしねぇ。
わたしみたいな実例があるにも関わらず、その辺って混同されてそうな気がしますが。どうなんでしょ。



とか言ってたら。
ウチの相方が「でも、感受性が豊かだと大人になったら生きづらいし、およそ子供の頃に誉められる”まじめ””大人の言うことを良く聞く””素直”なーんていうような要素は、大人になったら役に立たないか、むしろマイナスになるだけだよ。それよりも”たくましく””しぶとく”生きることを教えた方が、よっぽど役に立つと思うね。わたしなんか、感受性豊かでセンシティブだから、生き辛くて仕方ないわー。」などと抜かしました。
えーっと。私は感受性豊かでもなければ、たくましくもしぶとくもないんですが、どうやって生きていきましょうねー。

*1:忘れてるだけかもしれないですが