異性愛と同性愛と攻めと受け
先日、部屋の片づけをしていて、うっかり自分の書いた二次創作エロ小説を読み返してしまい「やっぱり私の属性は”攻”なんだなぁ」と実感した沸騰空穂葛です、コンバンハ。
”攻=男役、受=女役”って安易に説明される事もありますが、異性愛において、女が攻で、男が受って可能だなぁというのを、ただいま実体験中です(笑)。ま、そもそも、お付き合いの初っ端から私が襲ってますしね(爆)。ん?そういうのは襲い受けってことになるんだろうか。
たしかに、今のところ、一応、私の心の中の攻め受け割合は、攻め6:受け4って感じかなぁ。女性同士のお付き合いでだったら、身も心も攻め9〜10って感じだったんですが。今はまだ、受を演じてるっていう部分もあるかもしれない。特に床の中では(爆)。逆の立場(自分が攻め)だったら、受にはこういう反応をしてほしいなぁって思う反応を、今はしている感じというか。うーん。
”欲望する主体=攻め、欲望される客体=受け”だとして、女性の場合、欲望する主体であることは言明しにくいこと*1だけど、さすがに彼氏さんは男だけに欲望する主体の役割も担えているっていうのが、その攻め受けの割合の差に表れてるのかもしれないなぁ。
前に、ここの日記で「BL・やおいにおいて、私は攻めと自分を同一化している」っていうようなことを書いたら、その日のWeb拍手で「じゃあ一人でヌく時にはどうするんですか?」っていう質問がきましたが(笑)、やおい・BLの面白さは、まさにそこにあるんじゃなかろうか、と思ったりするわけです。
つまり、攻めと同一化しているときでも、受けの視点をも同時に持てる、という。小説家さんは、男性でも女性視点の物語を書くし、女性でも男性視点で書くことがある訳ですが、やおい・BLっていうのは書くのはもちろん読むことでも、主体にも客体にもなれる装置なんじゃないかと。
ホントは実際の人間関係においても、男女関係なく、相手も自分も、それぞれが主体であるからこそ付き合うんじゃなければ不自然だと私は思いますが。
ま、こんなことを今さら偉そうに書くまでもないことだろうとは思いますけどね。……っていうか、書いてて自分でも訳わからなくなってきた(爆)。
だから結論として何が言いたかったかというと、おかげさまで攻め受け両面イケてますよ、と(笑)。
*1:世代が若いほど、そうでもないのかもしれないけど。