家人が録画してて、面白いというので、とりあえず第一回目をみました。
ミカンを使って1+1=2であると先生が教えるシーンで、
エジソン君はミカンを半分に割って、
「ほら、1+1=3になった!」というわけですが、
「それは、半分+半分+1=2だよ。」って教えてあげればいいだけのことでは?と思ったんですが…
その程度の質問ならよくあるんじゃないの?そんなことないのかなぁ。
そんな二進数だ十進数だという難しい話じゃなくても、半分…つまり二分の一という”分数”の話だったら小学校で習うので、当然その分数の概念は先生も知ってるはずで教えられるはずですよね。*1
ついでに「”ミカン一個の半分”とか、”一つのミカンをふさ8つに分けたときのふさ1個分”を表すのが分数っていう考え方で、それは3年生*2になったらお勉強するんだよ」って言ったら、もっと算数に興味を持ってくれたりするんじゃないのかな。
私は今のところ塾で主に国語を教えてて、算数を教えることもありますが、進学塾なので鶴亀算とか難しい計算をやらせているので、そういう根源的な質問は出なかった…と思います*3が、「1+1は、どうして2なの?」は別に授業を混乱させる質問じゃないし、むしろすごく良い質問、ドラマの中の言葉を借りて言えば大変”おもしろい”質問だと思うのですが、どうだろう。
猫のヒゲにしても、それは”猫”という言葉が、”子猫””ヒゲのある猫””ヒゲのない猫””三毛猫””黒猫”という言葉(事物)をひっくるめて表す上位概念であるっていう話をしてあげればいいんじゃないのかなぁ。
そしたら、「なんでリンゴ一個とミカン一個を足すの?ちがうものなのに何であわせて数えちゃうの?」って質問にも答えられるよね。
「リンゴ一個とミカン一個、あわせたら”くだもの”はいくつある?って事だよ。」って。
で、そういう上位概念の中でも特に上位にある抽象的な概念が”数(数字)”なんだろうと思うし、そこまで授業を発展させられて、子どもたちがついてこられるとしたら、すごいだろうなぁと思います。
こういう風に考えるのって、私が理屈っぽい・考えるのが好きだからだろうか。
実際、国語より算数を教える方が、やりがいがあって楽しいんだよなぁ。
わかったかどうかが国語より明確だし、生徒も私も達成感があるんだよねぇ。
国語は地道な積み重ねだからなぁ。
しかし、母子家庭でおばあちゃんおじいちゃんにお迎えとか来てもらってた身としては、なんだか昔を思い出してほろ苦い涙がこぼれてしまったことであるよ。
家人と一緒には観られないかもなぁ(笑)
それにしても、『エジソンの母』ってタイトルだけど、これって「エジソンはADHDだった=エジソン君はADHDだ」っていう意味合いが含まれてたりするよね?
ADHDって、こんな”ちょっと好奇心と探求心が旺盛”なんていう程度を指す言葉だっけか?