沸騰空穂葛日記

マンガ・アニメ、映画、舞台などの感想を中心に(予定)。フェミニズム、教育・育児ネタなども?

続々・献血とエイズ/HIVと男性同性愛者(まだまだ書きかけ)三匹は斬らない…

先日の日記id:boilednepenthes:20050529に対して、「受けた衝撃を追体験できなかった・問題を共有できなかった」とご質問をいただきました。
私としても、きちんと説明する必要があるなと思いつつ、どこから説明したものやら、と考えていたことだったので、改めて問題点を整理して書きたいと思います。

少年1の献血の断り方がマジなのかネタなのかわからない。ネタで断るならアリかなぁという気がします。

スミマセン、そもそも私の要約がはしょり過ぎていたようなので、もう一度書きなおしてみます。

Web上で公開されていて、私が読んで衝撃を受けた、ある「やおい」作品の内容:
ある一組のカップル(少年同士)が「献血にご協力を〜」と声をかけられる。
少年2は協力しようとするが、少年1が有無を言わさず断って、二人はその場を立ち去る。 だが、少年2は1がなぜ強引に断ったかがわからない。
 少年2「ねぇ、なんで?」
 少年1「あれ(看板)を読んでみろよ」
そこには、”同性と性的接触を持った男性”からの献血をお断りする旨が書いてある。
 少年2「やだ〜っ、もう!(ポッと赤くなる)」
 少年1「それとも、あの場で『オレ達エッチしてるからできません』って言った方が良かったか?」
 少年2「**(1の名前)のバカっ!(照)」

 ・少年1が勧誘者に直接、それを理由に断った訳ではなくて、断った後でパートナーの少年2に理由を説明した。
 ・忙しいからなどの理由で、元々断るつもりだったのではなく、本当は献血しようと思ったのにできなかった。
直したポイントは、上の2点です。
私も、たとえば当事者(現実の男性同性愛者)がパートナーとエッチした後に「献血できないね(笑)」とジョークで言うのならば問題ないと思います。そこに差別意識はないからです。
では、何を私が問題だと感じたかというと、作品自体と、作者と感想を書いた読み手の反応の二つになります。

  • 作品自体の問題点

私の要約からだと伝わりづらいかと思うのですが、私にはその作品が「なんとなく(無意識に)同性と恋愛をしている(性的接触を持っている)ことは公言してはいけないと少年1・2が感じている」と書いているように思えました。
ここで「なんとなく(無意識に)」というのは、本人が差別をしているつもりがないだけに厄介だと私は思います。「悪気は無かったのに」全くその通りなのです。むしろ「悪気すらなかった」のだと思います。
公で言うのが憚られるというのは、本人の自由意志以前に社会的な圧力、つまり差別・偏見という見えないプレッシャーがかかっているということです。
無意識のうちに「同性愛は公言できない関係だ」と思っている人は、「同性愛は恥ずべき/不道徳な関係だor同性愛者は変態/病気だ」という気持ちが少なからずある、そこまでの嫌悪感はないとしても「同性愛者っていうのはノーマル/普通ではない、変わった/変な人」だと感じているのではないでしょうか。要するに、同性愛者=自分の世界/倫理観/常識から外れた/はみ出た人たちだと無意識に思っている訳です*1
自然に「同性愛者は異性愛者と同様に存在している」と思っている人だったら、同性と付き合っていることは、異性と付き合っていることと同様に、言うも言わないも本人の自由な意思によって決定されるものだと考えるでしょう。
実際に偏見・差別がある限り、同性愛者自身が社会的圧力を意識せずに生活していくのは、今後も難しいと思います。
だからといって、同性愛者に対して社会的圧力がかかるのは当然だと考え続けるならば、それはイジメを傍観しているのと同じです。同性愛者に対する差別・偏見を、暗に肯定しているのです。

また、そういった内容を作品の中に織り込むというのは、たとえ作者に悪意が無くても、同性愛は良くないというメッセージを暗に発していることになると思います。「みんな同性愛は公言しちゃいけない関係だって思ってるよね?」という前提/共通理解/常識を読者に求めることになってしまうからです。

「同性愛は公言できない関係ではない」とお考えでしたら、それはどのような根拠によってなのか(略)。
(たとえば男性が母親や妹と恋愛をしているとき、公言していいのかいけないのか。いけないとしたら同性愛の場合と何が違うのか?)

父母や兄弟姉妹と恋愛する・幼い少女や少年を愛する…他にも死体を愛する人や、モノを愛する人、相手を緊縛しないと性的興奮が得られない人、のぞきで興奮する人、嫌がる相手に性行為を強要する人、いろんな関係性や萌え(じゃなきゃ妄想とか性的ファンタジーとか)が世の中にはある訳ですが。
細かく考えていくと「ここまでは公言してはいけない・ここからは良い」という明確な線引きはできないかもしれませんね。それは、一人一人の倫理観が異なっているからです。「常識では考えられない」という時の”常識”は、実は人によって違っています。異性と”正常位”でのセックス以外は変態だと言う人もいるでしょうし、ソフトSMまでならノーマルな範囲だと思う人も、少女愛に共感する人もいるでしょう。強姦は同性愛よりも正常な性行為だと言う人だって世の中にはいます*2。言うまでもなく強姦や覗きは犯罪ですが、法律に反することが、そのまま個人の倫理観/良心に反することではない場合も多いでしょう。
近親相姦自体を裁く法律は日本にはないそうです*3少年愛少女愛は、ある年齢以下の児童と性行為を行ったら処罰されたような…たぶん。
ともあれ大雑把に定義すると、相手を傷つけるか否かを問わず、近親相姦や少年愛少女愛は日本の社会において、SMやフェチといった嗜好の問題として片付けられないタブーだと思います。
今まで、同性愛はそれらと同じように「いけないこと=タブー」でした。
昔は同性愛者の生徒がいたら、先生は更正するように指導しなければならなかったのですが、そもそも精神医学(心理学?)上でも「性指向の異常」であり病気と考えられていました*4
それが「精神医学的に同性愛は正常である」と変わったのは、
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同性愛の原因にはいろいろな説があります。
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もし、仮に今後の研究で同性愛はやはり病気/異常/発達障害だという結論が出たとしても、差別をして良いはずはありません。
ハンセン病だからといって、家族と縁を切らなければならなかったり、人として扱われなかったりするのは間違った差別・偏見であるのと同じです。
偏見・差別があるからこそ、公言しづらいことは確かでも「異性愛と同様に同性愛も公言して良い関係なのだ」と考えること・主張することで、同性愛は異常でも病気でもない、正常な心の動きだと
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さて、同じように、もし近親相姦や少年愛少女愛を「公言しても良い関係」と明言するなら、それらの関係・行為をも正常だと認めることになります。虐待や強姦といった形で関係を迫り、相手の体と心を傷つけるのならば、それは絶対に認められないことです*5
しかし正直に言って、合意の上で*6性的接触を持った場合、また行動には出ていなくても恋愛感情を持っている場合に、即「異常だ」と否定することは、私にはできないようにも思います。
DSM-IVという米国精神医学会の診断基準では、小児性愛精神障害と規定されています。ついでにサド、マゾ、痴漢的行為、フェチ、露出、のぞきも精神障害(病気)です。ですが、DSMから小児性愛を外すべきだという提案もあるそうです。その根拠は、ある調査によれば小児(小児性愛的なもの)に性的興奮を覚える人は約25%いるため「異常」とは考えにくいからだとか。
だとすれば、「異常」と「正常」を分けるのは「相手を害するかどうか」なのかもしれません。

  • 作者と感想を書いた読み手の反応の問題点
    1. 彼らが献血できない理由を、この作品の作者や読者は知っているのか?
    2. 男性同性愛者=エイズ、というイメージを(未だに)持っているのでは?ゲイに対する(無意識の)偏見・差別意識の表れなのでは?
      • むしろ差別意識や偏見ではなく、想像力や問題意識が欠如している

「男性同性愛者=エイズ」というのは、日本初のエイズ患者が男性同性愛者だとされた頃に広く世間にあった偏見です。(腐女子に限りません、むしろ世代の問題かも…げふっ)
エイズが社会問題化しはじめた当時は、たとえば小学生が男の子同士・女の子同士で手をつないでいるだけで「げっ、エイズだ!エイズだ!」とはやしたてるという、今では考えられないことがあったんですよ。
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問題を整理すると言ったものの、ぜんっぜんまとまりません。論点がアッチコッチだよ。どうしよ。つーか、長っ(汗)

*1:面倒なので、今回の話ではカトリックイスラムにおいて同性愛は禁忌だ…というような宗教との関係については省略します。

*2:それこそ”正気を疑い”ますが。「強姦するくらい元気が良い方が」なんて言った政治家もいたっけねぇ…怒

*3:条例で取り締まられているらしい?虐待の一環としてなら法律で裁けるのでしょうか?

*4:どっからどこまでが精神的な病気/異常か、というのも細かく見ていくと難しい問題だったりしますが、それはさておき

*5:だからと言って、加害者の人権を無視して良いことにはならないでしょう。処罰は必要でしょうが、それは差別とは違います。

*6:もちろん肉体的に未熟な子供と性行為をするのは体を傷つけることになるし、精神的に幼い子供にはリスクなどを全てわかった上での合意ができるはずはありません。が、肉体的にある程度成熟していた場合、何歳から大人と同じような判断ができると考えるかは線引きが難しいと思います。