沸騰空穂葛日記

マンガ・アニメ、映画、舞台などの感想を中心に(予定)。フェミニズム、教育・育児ネタなども?

文尾実洋の小論文:『レズビアンから見たBLカップルの関係性(パートナーシップ)──実は女性も男尊女卑を望んでる? 』

(原文はWordで縦書きでした)*1

  • 選択した書籍 No.036『冷たい砂の虜囚』水月真兎
  • 持参した書籍 No.001『モザイクリング』須和雪里

 

 この二つの書籍の関係性、それはボーイズラブ(BL)であるという点だけである。その他においては、まったく共通点がない。舞台・ストーリー展開はもちろんだが、私がもっとも注目するのは「主人公たち」の関係性の違いである。

  (以下、BLについて詳しくご存知でしたら読み飛ばしてください)

 「主人公たち」と言ったが、そもそもBLというラブストーリーにおいては、能動的な「攻め」と、受動的な「受け」の二人、もしくはそのどちらかが主人公となるのが基本である。一般に、攻めは異性愛における男性的役割、受けは女性的役割を与えられているといって差し支えないだろう。そして異性愛者の恋愛が男女の二人の関係で語られる以上に、その二人の関係性は強固であることが求められる。アテ馬としての役割以外では、他者の介入は歓迎されない。だから物語の展開も、強引な攻めが、わき目もふらず一心にツンデレな受けを愛し、ひたすらせまって口説き落として最後はハッピーエンド、というのが王道となる。それは、まるで「女の子」向けのおとぎ話が「王子さまはお姫さまを救い、王子さまとお姫さまは末永く幸せに暮らしました」で結ばれるがごとく、である。

  (読み飛ばしここまで)

 

No.036の作品は、舞台などの設定が少し目を引く以外、まさしくBLの王道と言える内容だ。この作者は、すさまじいアクセス数を誇るブログからプロデビューしたという経緯をもっているらしいが、こういった王道なBLを書くからこその人気なのだろう。

 だが、時折そういった王道なBLを読むと、私は眉をひそめてしまう。私は両性愛者であり、つい最近まではレズビアンだと思っていた。そんな私にとって、経済力と包容力のある攻めに受けが嫁ぐBL(そう、男が嫁いでしまうのがBLなのだ)だの、かっこよくてガタイのいい攻めになよなよとした受けが「女の子」のように可愛がられ守られるBLなどというのは、異性愛絶対原則と性への固定観念でぎちぎちに縛られ逃げられない作者と読者の、傷の舐めあいっこにしか思えない事があるのだ。

 「攻め」が異性愛における男性の役割を投影したものであるなら、結局のところ、世の多くの女性は男性に対し、背が高い・年収が高い・学歴(または身分や地位)が高い、三高な白馬の王子様を未だに求めているのだろうか。そして王子様がいつか自分に求愛してくれるのを未だに待っているのだろうか。これではまるで、女性自身が「自活する気ありません」「男にすがって生きたい」「男は多少強引でもいいから力強く女を引っ張り、外で仕事をして稼いでほしい」「女はおとなしく、しおらしく、男に対しては従順に、家事をして男の帰りを待つのが理想」と言っているようなものではないか。私はそんなの願い下げである。いや、むしろ現実の男性にされたら腹が立つし、それをクリアするのは望むべくもない至難の条件であるからこそ、BLというファンタジーの世界で実現しようというのか。女性のいないBLというファンタジー世界を選択するのは、この社会から与えられた「女」という役割、女性に対する男性の視線を嫌悪し回避するからではないのだろうか。その中においてさえ、内面化された抑圧・刷り込まれた偏った幻想からは逃れることはできないのか。

 しかしNo.001の作品は、すでにその世界を突き抜けてしまったかのようである。

 なんといっても、話の中心となるのが、攻め二人に受け一人、いってみれば主人公が三人なのである。そして 、なによりすごいのが、最終的に二人のつがいにおさまるのではなく、三人でいるのがいいんだという結論に至ってしまうところである。まるっきり王道の正反対をいく作品なのだ。「攻めは受けが大好きで、受けも攻め以外の男が目に入らなくなってしまう」なんて甘っちょろいストーリー展開は、ここにはない。

 たしかに他にも、幼馴染の男女とゲイ男性との三角関係の末に、三重婚をやってのけたマンガ「THE B.B.B.(ザ・ばっくれバークレーボーイ」(秋里和国:作)という作品もある。だが、この日本で、そんな結末、しかもそのうえ男三人のパートナーシップなんてものを、すんなり受け入れられる人間がどれだけいるだろうか。

 しかし、である。私にとっては、それこそが何より心地よい関係に思えてならない。

 私が、この作家を偏愛しているのは、その主人公たちの関係性の描き方によるところが大きい。

 女性だとか男性だとか、同性愛だとかいう以前に、この作家の書く登場人物は、苦悩する一人の人間として描かれている。人間としての欠陥を、そしてその欠陥から生まれる魅力をもっている。

 主人公の一人には、実母との近親相姦の過去がある。また別の一人は、父親が二人の女性を愛したがために母親が不幸になったのを子供の頃に見せられている。もう一人は、精神衛生的にも健康そうな純粋でまっすぐな青年だが、社会人としての適性を少々欠いていると思われる節がある。三人は、それぞれに傷を抱え、傷と戦い、それぞれに「三人」という関係に苦悩する。しかし最後には、その三人が、依存しあうのでも、傷をなめあうのでもなく、二人だけの世界に閉じこもっていくのでもなく、一人と一人と一人の関係を築き、互いを認め合い、必要としあい、三人の幸せを目指すようになっていくのだ。「攻めだから」「男だから」とか、「受けだから」「女だから」とか、そんなわずらわしい性的役割なんか関係なく、そうやってただ純粋に互いに一人の人間として認め必要としあうことこそパートナーシップという言葉にふさわしいと、私には思える。

 せっかく同性同士の愛を描いているのだから、異性愛規範なんかにとらわれていない、新しい関係性をみせてくれるBLをこそ、私は読みたい。

なんだ、いい論文じゃんか、ご謙遜を。ま、がんばれよ〜!(ニヤニヤ)

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*1:ソースが汚いのは許してください。Wordからhtmlに出力したのを、そのままコピペしてます。なので、横書きになってる以外は、ほとんど原文ママですね。